エドウィン・ジャクソン メジャー記録へあと1つ
2017.6.15 14:49 Thursday
日本時間6月12日、オリオールズは4日前にメジャーへ昇格させたばかりのエドウィン・ジャクソンをDFA。2日後にジャクソンはマイナー降格ではなくFAになることを選択した。これまで数多くの球団でプレイしてきたジャクソンは、オリオールズがなんと12球団目。オクタビオ・ドーテルが持つメジャー記録まであと1つに迫っているのだ。そのジャクソンのメジャー生活を簡単に振り返ってみたい。
父エドウィン・シニアが米軍の料理人だった関係で西ドイツで生まれたジャクソンは、その後ジョージア州コロンバスで幼少期を過ごし、2001年のドラフトでドジャースから6巡目(全体190位)指名を受けてプロ入りする。
1球団目:ドジャース
2003年9月9日、20歳の誕生日にメジャーデビューを果たしたジャクソンはこの年、メジャーで4試合(うち3先発)に登板して2勝1敗、防御率2.45の好成績をマーク。その活躍が評価され、2004年のシーズン開幕前には「ベースボール・アメリカ」で全体4位のプロスペクトとして評価されるようになる。しかし、2004年、2005年の2シーズンで僅か4勝しか挙げられず、メジャー定着を果たせないまま2006年1月にダニス・バイエズ、ランス・カーター(元オリックス)の2投手との交換でチャック・ティファニーとともにデビルレイズ(現レイズ)へとトレードされた。
2球団目:デビルレイズ(レイズ)
デビルレイズ1年目の2006年は自己最多の23試合(うち1先発)に登板。翌2007年はチームが根気よく先発として使い続け、5勝15敗、防御率5.76という悲惨な成績ながらメジャー初完封を記録するなど貴重な経験を積む。チーム名がデビルレイズからレイズに変わった2008年、ジャクソンは先発ローテーションの一角として自己最多の183.1イニングを投げ、14勝11敗、防御率4.42という自己ベストの成績をマーク。ポストシーズンでの先発の機会は与えられなかったが、自身初の2桁勝利をマークするなど充実のシーズンを送った。しかし、同年12月にマット・ジョイス(現アスレチックス)とのトレードでタイガースへ移籍することとなった。
3球団目:タイガース
先発ローテーションの一角として期待されたジャクソンは、さらなる成長を遂げ、自身初の200イニング(214イニング)をクリアして防御率3.62、161奪三振など多くの部門で自己最高の成績をマーク。オールスターにも初めて選ばれた。ところがそのオフ、またしてもトレード要員となり、タイガース、ダイヤモンドバックス、ヤンキースの三角トレードでジャクソンはダイヤモンドバックスへと放出された(カーティス・グランダーソン、イアン・ケネディ、マックス・シャーザーらがこの三角トレードに関わっている)。
4球団目:ダイヤモンドバックス
まだ26歳ということもあり、新天地ダイヤモンドバックスでのさらなる飛躍を期待されたジャクソンだったが、21先発で6勝10敗、防御率5.16と期待を裏切ってしまう(なお、6月25日の古巣レイズ戦でノーヒッターを達成。149球を投げて8四球という大荒れのピッチングだった)。ダイヤモンドバックスが下位に低迷していたこともあり、7月末にデービッド・ホルムバーグ(現ホワイトソックス)、ダニエル・ハドソン(現パイレーツ)の2投手との交換でホワイトソックスへとトレードされた。
5球団目:ホワイトソックス
ホワイトソックスに加入したジャクソンはシーズン残りの2ヶ月で11試合に先発し、4勝2敗、防御率3.24と移籍前とは打って変わって安定した成績をマーク。翌2011年も開幕から先発ローテーションの一角としてコンスタントに投げ続け、7月下旬までの19先発で7勝7敗、防御率3.92とまずまずの成績を残していた。そして前年同様にトレード・デッドラインでの放出要員となり、ジェイソン・フレイザー、ザック・スチュワートとの交換でマーク・ティーエンとともにブルージェイズへ放出される。しかし、ブルージェイズ在籍時間は数時間のみ。同日にコルビー・ラスマス(現レイズ)ら4選手との交換でドーテルら3選手と共にカージナルスへトレードされた(ブルージェイズでのメジャー出場はないため、所属球団数にはカウントされていない)。
6球団目:カージナルス
ポストシーズン争いを繰り広げていたカージナルスに加入したジャクソンは移籍後の13試合(うち12先発)で5勝2敗、防御率3.58の好成績をマークしてチームのワイルドカード獲得に貢献。ポストシーズン初先発も経験し、地区シリーズで1勝を挙げてチームのワールドシリーズ制覇に貢献した。このオフ、初めてFA権を取得したジャクソンは翌年2月にナショナルズと1年1100万ドルで契約を結んだ。
7球団目:ナショナルズ
新天地ナショナルズでも前年まで4年連続180イニング以上というイニング・イーターぶりを発揮し、189.2イニングを投げて5年連続となる2桁勝利(10勝11敗、防御率4.03)をマーク。チームが地区優勝を果たしたため、2年連続でポストシーズンでの登板機会を与えられたが、地区シリーズで古巣カージナルスに打ち込まれ、チームも地区シリーズ敗退となってしまった。このオフ再びFAとなったジャクソンは、5年連続2桁勝利&180イニング以上という実績を評価され、カブスと4年5200万ドルという大型契約を結んだ。
8球団目:カブス
大型契約を手に入れて気合い十分で臨んだ2013年シーズンだったが、気合いが空回りしたのか、過去5シーズンのようなピッチングができず、両リーグワーストとなる18敗を喫してしまう(8勝、防御率4.98)。翌2014年は不振がさらに深刻さを増し、6勝15敗、防御率6.33という惨憺たる成績に。4年契約の3年目となった2015年は開幕からリリーフでの起用が続き、契約を1年半残して7月末に解雇された。結果的にカブスが結んだ4年契約は大失敗。このころからジャクソンは不良債権の代名詞の一つのように扱われるようになる。
9球団目:ブレーブス
カブスから解雇された翌月、ジャクソンはブレーブスと契約を結んだ。ブレーブスでもリリーフでの起用が続き、メジャー初セーブを記録するなど24試合で防御率2.92、被打率.167とまずまずのピッチングを披露。しかし、ブレーブスから再契約を望む声は掛からなかった。
10球団目:マーリンズ
再びFAとなったジャクソンだったが、カブスとの契約がまだ残っていることもあり、他球団はジャクソンをメジャー最低年俸で雇うことができる。そこに目を付けたのがマーリンズだった。あわよくば先発ローテーションに入ってくれれば、との思惑もあったはずだが、ジャクソンはその期待を見事に裏切り、リリーフで8試合に登板しただけ。0勝1敗、防御率5.91という成績で6月上旬に解雇される。
11球団目:パドレス
それから半月後、とにかく投げられる投手を探していたパドレスがジャクソンに救いの手を差し伸べた。パドレスに加入したジャクソンは2014年以来となる先発のマウンドに立つ機会を与えられたが、13先発で5勝6敗、防御率5.89に終わり、オフにFAとなってパドレスを去ることになった。
12球団目:オリオールズ
そして今季は4月にオリオールズと契約。AAA級では12試合(うち1先発)に登板して2セーブ、防御率3.10と何とも言えない微妙な成績に留まっていたが、契約破棄条項が契約に含まれていたため、オリオールズはジャクソンのメジャー昇格を決断した。メジャー歴代2位タイとなる12球団目でのプレイとなったジャクソンだが、3試合で防御率7.20と全く通用せず、僅か4日後にはDFAとなり、マイナー降格を拒否して再びFAとなった。
メジャー記録はドーテルの13球団。この記録に並ぶためにはこれまでにプレイ経験のない球団と契約を結び、メジャーで登板することが必要になるが、投手不足に苦しむオリオールズから放出されてしまったということもあって、ジャクソンの今後を楽観視する声は非常に少ないのが実情だ。15年のメジャー生活で12球団という驚異的なペースで移籍を経験してきたジャクソンだが、ここ数年のピッチングを見る限り、ジャクソンのキャリアが終わりに近付いていることは間違いない。今はただ、自分を必要としてくれるチームが現れることを待つしかなさそうだ。
