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【MLB東京シリーズ展望③】人種の壁を打ち破り、東海岸から西海岸に移転した名門

2025.1.9 12:27 Thursday

 2024年のワールドシリーズは東西の名門対決となり、ドジャースが勝利。実はドジャースは東海岸で誕生し、人種の壁を破り、黄金期を迎えると西海岸に本拠地を移転。以降、西の名門として再び最盛期を迎えている。

 ドジャースは、1883年にブルックリン市(現ニューヨーク市ブルックリン区)で創設。当時はドジャースではなく、ブルックリン・アトランティックスとして、プロの野球リーグ「アメリカン・アソシエーション」「ナショナル・リーグ」に参戦。1900年までに、グレイス、ブライドグルームス、スーパーバスなど名を変えながら3度のリーグ優勝を飾った。

 1901年に「アメリカン・リーグ」と「ナショナル・リーグ」の各8チームによる2リーグ制でスタートしたMLBでは、ブルックリン・スーパーバスとしてナ・リーグに所属。1904年から1914年まで11年連続負け越し、1911年から2年間は「トロリードジャース」を名乗った。その意味は、当時市内で走っていた路面電車(トロリー)をうまく避ける人たちを「Trolley Dodgers」と呼んでいたことが由来だった。のちに1932年から「トロリー」を外した「ドジャース」となり、現在に至る。

 1913年には新球場「エベッツ・フィールド」が完成すると、1916年にワールドシリーズに初進出。1920年にもリーグ優勝を飾り、1試合あたりの観客動員は1万人を超えた。

 そして1947年、遂にカラーライン(黒人選手の不採用)の壁を打ち破り、アフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンが誕生した。

 その年、新人王を獲得したロビンソンの活躍もあり、チームは6年ぶりにリーグ優勝。1956年までの10年間で6度ワールドシリーズに進出し、1955年にはヤンキースとの6度目の対戦でついに世界一に輝くなど、黄金期を迎えた。

 初の世界一となった翌年、ドジャースは「日米野球」で日本を訪れ、3週間にわたって日本のトップチームと19試合を戦った。ジャッキー・ロビンソンはこの年に引退を表明したため、この日本での試合が選手としての最後の出場となった。

 1958年には、西海岸のロサンゼルスへ本拠地を移転する。当時のMLBのチームは東海岸や中西部に固まっていたが、交通網やマスメディアの発展などに伴い、未開の地であった西海岸に移ることで、MLBの市場拡大にもつながると決断。オーナー会議では「西海岸に2チームがあればOK」という条件が出されると、当時のドジャースのオーナーであるウォルター・オマリー氏は、ライバルでもあったニューヨーク(現サンフランシスコ)・ジャイアンツを誘うことで移転を実現させた。

 移転から2年目の1959年には、チーム2度目の世界一に。1963年にはライバルのヤンキースを破り、3度目の世界一に輝くなど成功を収める。現在は12年連続でポストシーズンに進出し、2024年にもヤンキースとの東西名門対決を制するなど、再び最盛期を迎えている。

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