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【MLB東京シリーズ展望⑮】ボンズが、ランディが、グリフィーJr.が。クレメンスらも全盛期に来日

2025.3.13 14:26 Thursday

 明治時代に始まった日米野球では、その時代を代表するチームやスター選手が多く来日した。1986年からはMLB選抜として夢のオールスター・チームを結成。豪華なメンバーが日本のファンを魅了した。

 1990年のメンバーは、前年まで阪神で活躍し、この年にMLB復帰して本塁打王と打点王を獲得したセシル・フィルダー(タイガース)の凱旋とともに、ランディ・ジョンソン(マリナーズ)、ロベルト・アロマー(パドレス)、ケン・グリフィー親子(マリナーズ)、そしてバリー・ボンズ(パイレーツ)が来日。

 同年のグリフィー親子は、マリナーズで親子での二者連続本塁打を達成。メジャー2年目のグリフィーJr.は、1968年のジョニー・ベンチに次ぐ史上2番目の若さでゴールドグラブ賞を受賞した。

 ジョンソンは6月に球団史上初のノーヒッターを達成。日米野球第8戦でも、先発のチャック・フィンリーとの継投でノーヒッターを達成した。

 その後、史上12人目の通算3000奪三振を達成し、2年連続でサイ・ヤング賞を受賞した2000年にも日米野球に参加している。

 ボンズは、1990年に史上2人目(1987年のエリック・デービス以来)の30本塁打&50盗塁を達成し、MVPを初受賞。

 打率.308、42本塁打、129打点、40盗塁で、通算300本塁打や1988年のホセ・カンセコに次ぐ史上2人目の40本塁打&40盗塁を達成した1996年に再来日した。

 さらに、打率.306、49本塁打、106打点、長打率.688でMVP投票2位だった2000年と、自身初の首位打者を獲得し、同じく自身初出場となったワールドシリーズで打率.471、4本塁打を記録した2002年にも来日。最終的には合計4度来日した。

 2004年には、前年の引退表明を撤回し、歴代最多(7度目)、最年長(42歳)、最多球団(4球団)でのサイ・ヤング賞受賞を達成したロジャー・クレメンスも初めて日米野球に参加していた。

 ファンから見れば、知らない選手がいないほど豪華メンバーが毎回来日した日米野球は、1996年には同年9月に日本人初のノーヒッターを達成した野茂英雄が凱旋来日し、イチローや松井秀喜と対戦。以降、日米野球は日本人メジャーリーガーの凱旋も目玉の1つとなっていった。

 日米野球はエキシビションマッチで、日本全国を回り、合間にはサイン会やイベントにも参加。グラウンドとは違った選手の表情を見ることもできた。2018年で日米野球は終了し、現在は日本開幕戦で本場さながらの真剣勝負を目の前で見ることができる。

 まもなく行われるMLB開幕戦「東京シリーズ」でも、全盛期のスター選手や、活躍中の日本人選手も複数名凱旋来日する。また刻まれる新たな歴史の1ページを、しっかり目に焼きつけよう。

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