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時代委員会の殿堂入り投票 ボンズ、クレメンスら8名が候補者に

2025.11.4 09:23 Tuesday

 3日(日本時間4日)、アメリカ野球殿堂は今年の時代委員会の殿堂入り投票の対象となる8名の候補者を発表。バリー・ボンズとロジャー・クレメンスの両レジェンドもノミネートされた。

 今年の時代委員会の殿堂入り投票は「現代野球の選手」が対象となり、主に1980年以降に活躍した選手の中から選ばれている。候補者8名はボンズ、クレメンス、カルロス・デルガド、ジェフ・ケント、ドン・マティングリー、デール・マーフィー、ゲーリー・シェフィールド、フェルナンド・バレンズエラという顔ぶれだ。

 時代委員会による投票で殿堂入りを果たすためには、16名で構成される委員会から75%以上の得票率を獲得することが必要(つまり12票以上)。委員会のメンバーは後日発表され、投票結果はアメリカ東部時間の12月7日午後7時半(=日本時間12月8日午前9時半)にMLBネットワークの番組内で発表される予定だ。

 以下では、今回の投票対象となった8名の選手たちを簡単に紹介していく。

バリー・ボンズ(外野手)

 MLB史上最高の野手との呼び声も高いボンズは、史上最多となる通算762本塁打を記録した。2001年の73本塁打はシーズン最多記録だ。通算2558四球も史上最多で、Baseball-Referenceが算出する総合指標WARも野手トップの162.8を記録。史上最多となる7度のMVPに輝き、2001~04年には4年連続で受賞した。その4年間では打率.349、出塁率.559、長打率.809という驚異的な成績をマーク。首位打者2度のほか、出塁率も10度、長打率も7度、リーグトップに立った。

 キャリア通算ではオールスター選出14度、シルバースラッガー賞12度のほか、左翼手として高い守備力を発揮し、8度のゴールドグラブ賞を受賞。シーズン30盗塁以上を9度マークし、通算514盗塁を記録したほか、1996年には40本塁打&40盗塁も達成した。

ロジャー・クレメンス(先発投手)

「ロケット」の愛称で知られるクレメンスは、史上最多となる7度のサイ・ヤング賞を受賞。最初の受賞は1986年で、24歳のレッドソックスの若きエースとしてMVPも同時受賞した。最後のサイ・ヤング賞はアストロズ時代の2004年で、当時42歳。1999年と2000年にはヤンキースの一員としてワールドシリーズ制覇も経験した。

 オールスター選出11度のほか、最優秀防御率のタイトルを7度獲得し、ブルージェイズ時代の1997年と1998年には投手三冠を達成。そして、忘れてはならないのが三振奪取能力の高さだ。最多奪三振のタイトルを5度獲得し、2度の1試合20奪三振を記録。24シーズンにわたる現役生活で史上3位となる通算4672奪三振をマークした。

 ボンズとクレメンスはMLB史上トップクラスの選手だが、全米野球記者協会による殿堂入り投票では、現役時代の薬物使用疑惑が影響し、殿堂入りを果たすことができなかった。

カルロス・デルガド(一塁手)

 デルガドは17年間のキャリアで通算473本塁打を放ち、ブルージェイズ時代に放った336本塁打は球団記録となっている。最初の12シーズンはブルージェイズで過ごし、2度のオールスター選出のほか、シルバースラッガー賞を3度受賞。2003年には42本塁打、メジャー最多の145打点という活躍を見せ、MVP投票2位となった。100打点以上を9度記録し、MVP投票では10位以内に4度ランクイン。メッツ時代の2006年にはロベルト・クレメンテ賞を受賞している。

ジェフ・ケント(二塁手)

 ケントは間違いなく史上屈指の攻撃力を持つ二塁手であり、通算377本塁打は主に二塁手としてプレーした選手の中で最多。通算1518打点は同3位、長打率.500も同2位にランクインしている。キャリア序盤はメッツで活躍していたが、1997年にジャイアンツへ移籍してからブレイク。ジャイアンツで過ごした6年間は毎年100打点以上を記録し、打率.297、175本塁打、出塁率.368、長打率.535をマークした。

 5度のオールスター選出のうち3度、シルバースラッガー賞4度のうち3度がジャイアンツ時代で、2000年にはMVPも受賞。ポストシーズンでも安定した活躍を見せ、通算49試合で9本塁打、OPS.840を記録した。

ドン・マティングリー(一塁手)

 マティングリーは14年間のキャリアをヤンキース一筋で過ごし、1980年代を代表する打者の1人だった。1980年代の10年間では、オールスターに6度選出され、首位打者とMVPに各1度輝いたほか、リーグ最多安打を2度記録し、シルバースラッガー賞も3度受賞。キャリア後半はケガに悩まされたものの、通算打率.307を誇り、通算9度のゴールドグラブ賞を受賞した。

 1995年限りで引退したあと、コーチに転身し、ドジャース(2011~15年)とマーリンズ(2016~22年)で合計12シーズンにわたって監督を務めた。ドジャース時代には5年間で3度の地区優勝を達成。マーリンズ時代の2020年には最優秀監督賞を受賞した。

デール・マーフィー(外野手)

 Baseball-Referenceが算出する総合指標WARにおいて、1980年代の野手トップ13人のうち、唯一殿堂入りを果たしていないのがマーフィーだ。1980年代に記録したWARは47.1で、これは野手10位にランクインしている。1980年代に記録した2796塁打はメジャートップで、308本塁打は同2位。1982年と1983年にはそれぞれ36本塁打を放ち、2年連続でMVPに輝いた。

 18年間の現役生活の大部分をブレーブスで過ごし、オールスター選出7度、ゴールドグラブ賞5度、シルバースラッガー賞4度。さらに、1988年にはロベルト・クレメンテ賞を受賞した。

ゲーリー・シェフィールド(外野手)

 球界屈指の強打者として活躍したシェフィールドは、22年間のキャリアで通算509本塁打、1676打点を記録。30本塁打&100打点を8度マークし、シーズン300塁打も6度達成した。パドレス時代の1992年にはメジャートップの323塁打を記録。この年は首位打者のタイトルも獲得した。

 マーリンズ時代の1997年にはポストシーズンで打率.320、OPS1.061の活躍を見せ、ワールドシリーズ制覇に大きく貢献。1999~2005年はドジャース、ブレーブス、ヤンキースでプレーし、7年間で打率.307、247本塁打、出塁率.408、長打率.558をマークした。

フェルナンド・バレンズエラ(先発投手)

 バレンズエラは1980年に19歳でメジャーデビューを果たし、翌1981年に大旋風を巻き起こした。メキシコ出身の左腕は、新人王とサイ・ヤング賞を同時受賞し、各地に「フェルナンドマニア」と呼ばれる熱狂的なファンが誕生。この年、25度の先発登板で11度の完投を記録し、うち8度は完封勝利だった。また、1981年と1988年にはドジャースの一員としてワールドシリーズ制覇も経験している。

 メジャーで17年間プレーし、1981~90年にはドジャースで平均233回1/3を投げて防御率3.34を記録。オールスター選出6度のほか、サイ・ヤング賞投票ではトップ5に4度ランクインし、シルバースラッガー賞を2度、ゴールドグラブ賞も1度受賞した。


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