パドレスとDバックスでGMを務めたタワーズが56歳で逝去
2018.1.31 18:30 Wednesday
パドレスとダイヤモンドバックスでGMを務めたケビン・タワーズが2016年12月に患った未分化甲状腺がんによる闘病生活の末、日本時間1月31日にサンディエゴで逝去したことがわかった。56歳の若さだった。
タワーズは1982年のドラフトでパドレスから1巡目指名を受けてプロ入り。プロ2年目の1983年にはA級とAA級の2階級合計で12勝をマークし、1988年にはAAA級まで到達したが、メジャー昇格を果たすことはできず、マイナー通算29勝の成績を残して1989年限りでユニフォームを脱いだ。その後はマイナーの投手コーチやスカウトを経て、1995年11月にパドレスのGMに就任。2009年10月に解任されるまで14シーズンにわたる長期政権を築き、ワールドシリーズへ進出した1998年を含め、4度の地区優勝を成し遂げた。2010年9月からはダイヤモンドバックスのGMを務め、2011年にいきなり地区優勝。しかし、その後は低迷が続き、チームのチーフ・ベースボール・オフィサーに就任していたトニー・ラルーサによって2014年9月に解任された。2015年からはレッズのウォルト・ジョケッティGM(当時。現在は野球部門社長)のもとで特別アシスタントを務めていたが、それが最後の仕事となった。
パドレス時代の2003年オフにポスティング・システムを利用してメジャーリーグへ挑戦した大塚晶則を獲得し、2007年オフにはフリーエージェントとなっていた井口資仁と1年契約。ダイヤモンドバックス時代の2011年オフには1年契約で斎藤隆を獲得するなど、日本人選手との関わりも深く、才能を発掘する能力に長けたGMとして長きにわたって球界に貢献した人物だった。
タワーズのもとでパドレスの監督を務めたバド・ブラック(現ロッキーズ監督)は「私は彼のことを球界における真の友人の一人だと思っている。彼はサンディエゴで私を採用してくれた。彼があの機会を与えてくれなかったら、その後どうなっていたかわからない。本当に感謝しているよ」とタワーズへの感謝を口にした。ブラック以外にもロブ・マンフレッド・コミッショナーをはじめ、パドレスとダイヤモンドバックスの関係者などから、早すぎる死を惜しむコメントが多数寄せられた。
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